my story ピアノ講師への道
ピアノ講師 竹内智子
my story
ピアノ講師への道(長文です)
愛知県名古屋市生まれ。
私は4才の時にピアノを習い始めました。
父が若い時にコーラスをしていて、音楽が好きだったから習わせてくれたのだと思います。
私が習っていた頃はいわゆるピアノブームで、一気に家庭のリビングにピアノが置かれるようになった時代です。
私の家にあったオルガンもピアノにかわりました。
その頃の町のピアノの先生は少なかったように思います。
今のようにレッスン時間が決まっていたわけではなく自分の順番が来るまではノートをやっていました。
そしてそれが終わるとマーガレットなどの漫画本といいますかコミックスがたくさん置いてあって読んでいるとやっと自分の順番が。
初めてのピアノの先生との出会い
私が手ほどきを受けた先生はやさしいおばあさんの先生でした。
あまりおしゃべりでない私が上手に弾けると、すごくほめてくれたことを覚えています。
この教室にはすごくたくさんの生徒さんがいて、先生の家にはピアノが2台あり、先生の娘さんもお嫁さんもピアノを教えていました。
褒める先生、きびしい先生、なにも言わない先生などいろいろなタイプの先生に教わりましたが、今思うと伸びたのはきびしい先生、楽しかったのは褒める先生だったように思います。
また相性のようなものもあるのかもしれません。
その頃はおばあさんだと思っていた先生は、もしかしたら60才くらいだったのかもしれません。
先生はレッスンが終わるとカンロ飴を口に入れてくれたり、クッキーをティッシュに包んで持たせてくれました。
それがすごくおいしかったので、あの飴はどこに売っているのか母に聞いて、先生の家の隣にある八百屋さんにその飴を買いに行ったこともあったのでした。
発表会では母がワンピースやドレスを用意してくれました。
小2の時にロングドレスを着た時に、なんだか特別な気持ちがしたことを覚えています。
高学年になると、ピアノがだんだん難しくなってきてスランプもありました。
でも発表会の前は一生懸命練習し、学芸会の合奏や合唱でピアノを弾く機会があって自分の自信になっていたように思います。
中学に入学し、部活は軟式テニスをしていた私ですが、ピアノも続け、発表会の曲と合唱の伴奏は練習していました。
しかし、中学の終わり頃に引越をして、先生の家が遠くなってしまった事もあり、レッスンを休みがちになった末、高校で一旦ピアノをやめてしまったのです。
音大進学を決意、恩師との出会い
そんな中、高校生活のある時、私は進路のことを考えました。
そして
「なんとなく続けてきたピアノだったけど、発表会も伴奏も楽しかったし、私は音楽が大好きだなあ」
と気付いたのです。
それから転機がやってきました。
音楽大学に行きたかった私に、ある恩師との出会いがあったのです。
その先生のレッスンを受けて、「音楽の道をめざす人たちは、こんな練習をするんだ」という驚きがありました。
もっと早く、この先生に習っていれば良かったとか、自分は準備不足なので、大学受験するのはもう遅いのではないかと、何度も思いました。
テクニックが全然足りなかったし、勉強している曲が少なかったのです。
やること全てが初めてのことばかり、、、
そんな私に恩師は、私が0からのスタートだということをご理解くださり、ある意味手取り足取り、1音ずつ、1小節ずつの指導をしてくださったのです。
どんな練習をしたら良いのかということも教わりました。
また声楽の先生でもあった恩師は、歌いながら私の演奏を引っ張ってくれたのです。
その時に「こんなふうに表現するんだ」ということを、たくさん知ることができました。
私は受験のために今できることを頑張り続けました。
そうして私は、恩師のおかげで名古屋音楽大学に合格することができたのです。
入学後の苦悩、そして自分の強みへ
希望と不安で大学の門をくぐりました。
大学に行ってわかったことは本当にいろんな人がいて、いろんな考えがあるんだなあということでした。
私から見ると優秀な人、上手い人がわんさといて、その人の足元にも及ばない自分がいました。
(私、道まちがえたのかな)
(なんでここに来ちゃったんだろう)
しばらくもやもやしていて恩師に話したところ、
『今いるところで頑張ればいいんじゃないかなあ』
この言葉で私は歩きだしました。
たまに私はピアノの試験でクラスの中でいい成績を取ることができました(上位になった時だけ先生が教えてくれたのです)
試験に間に合わせるために必死に練習しました(ばかみたいに弾くのですが、友人は狂ったように練習したと言っていました)
この時間があったからこそかじりついて頑張ることが出来ているのかもしれません。
卒業後に、ある曲を発表会で弾いたとき、どうしても弾けないところがあって
(私この曲よりすごい曲弾けないわ)
と落ち込んだり、また前向きになったりの繰り返しでした。
また恩師が声楽の先生であったことから歌は続けていました。
恩師の専門がドイツリートだったことから私はシューベルト、シューマン、ブラームス、シュトラウスなど学び、門下生の演奏会に出演しました。
しかし結婚を機に恩師から離れることになりました。
恩師より素晴らしい師に巡り合える気がしなくて歌を一旦やめたのですが今またやりたくなってきました。
この時に必死に学んで得たものが私の自己肯定感を高め、この学びは自分が生徒さんにお教えする時に最も得意とする教え方のひとつになりました。
それは
どのように表現するのか私が歌って伝えることができる!ということです。
恩師が歌って私を引っ張ってくれたように
私が歌って生徒さんの演奏を表情豊かに導くことができる!ということです。
理想のピアノレッスンの原体験となった
今振り返っても、何も分からない私を導いて下さった恩師には大変感謝しています。
先生の教えがなければ今の私は存在しません。
恩師の教え方は大変わかりやすく、その時の私には合っていたと思います。
「私もピアノの先生になったらこんなふうに教えたいな」
と当時から思っていました。
そして後に、新たなる師との出会いから、この考えが動き出すことになるのです。
音大卒業後、音楽教室での指導を経験し結婚、そして埼玉へ
音大を卒業した私は、音楽教室で様々な年齢の生徒さんをお教えすることになります。
生徒さんの成長を見守りながら、共に学び、時に迷いながら充実した時間を過ごしていました。
しかしそんな時間に終わりがやってきました。
結婚を機に埼玉県へ移ることになったのです。
最後は、ずっと通ってくれていた生徒さんやお母さん方が笑顔で送り出してくれました(私は後ろ髪引かれる思いだったのですが)
埼玉に来てからも、音楽教室や自宅教室で、また生徒さんと勉強することができるようになりました。
恩師の恩師との出会い、受け身からの脱却
しかし、ここは生まれ育った名古屋から遠く離れた地。
頼る先生もおらず、これからどうしていこうかなと思っていた私に、またしても運命的な出会いが訪れます。
なんと、恩師の恩師が埼玉県にいらしたのです!
私はこの先生の指導を受けることになりました。
この恩師の恩師はよく私に
「ここは、どんなふうに弾きたいの?」
「あなたは、どう思っているの?」
「これは教えられることじゃない」
と言われました。
「あなたは、どう思っているの?」
何度も問われて私は、しどろもどろになっていました。
それまでの私は、
「レッスンに行けば何か教えてもらえる」
と受け身だったのです。
この恩師に出会ってから、私は、自分自身を変えなくてはならないと思いました。
また恩師の紹介で作曲の先生のレッスンを受けた時は、理論的な説明ですごくわかりやすかったのです。
「こういうふうに言えばあなたにはわかるかな」
とおっしゃいました。
生徒さんにどう言えば伝わるのか、どう伝えれば考えるのか、私は生徒さんに自ら考え自ら学ぶ人になってもらいたいのです。
私は今、子供たちへのピアノレッスンで、曲の中で同じところを見つけたり、フレーズの山を探したり、同じ形を繰り返しながらクライマックスへ向かっていくなど、小さいトレーニングを重ねる中で、たくさんの発見をしてもらえるよう心がけてます。
生徒さんが私をピアノ講師として成長させてくれる
自分が今までどんな人と出会ってきたかというのは、今の自分にとても大きな影響を与えていると思います。
お世話になった先生方、友人知人のピアノの先生、そして、生徒さんや父兄の方々との関わりは、私を人として成長させてくれました。
小さな生徒さんの顔が雲っている時は
「あぁ、この教え方ではだめなんだ。もっとちがう伝え方をしなくてはいけない」
と気づきます。
お子さんを大切に思うお母さんたちと話していると
「自分も同じ気持ちだったなぁ」
と感じます。
また忙しい中で頑張っている中高生、大学生の生徒さんからは、大きなパワーをもらっています。
本番に向かって、こんなにもまっすぐに頑張れるんだと。
大人の生徒さんやシニアの生徒さんは、何を求めて教室に来てくださっているのか、私は考えつづけます。
生徒さんは私にいろいろなことを教えてくれます。
出会った生徒さんは、私にとっては良き先生なのです。
名古屋での生徒さんたちとの別れの時、私はこう思いました。
「みんなとの別れはつらいけど、ピアノの先生をしていたらきっと、新しい生徒さんが私に会いに来てくれる。きっと素晴らしい出会いがある」
私が埼玉へ来て、私のことを知っている人が誰もいない町へ来て、ピアノを通して生徒さんと出会えたのは奇跡です。
ピアノをやっていなければ決して出会うことはなかったでしょう。
私はこの出会いを大切にしたいと思います。
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